他界・・4人の空虚な時間。
いつも ご訪問くださりありがとうございます。
父の元に急ぎました。
高速道路を飛ばし
介護医療院のロビーを夫と走り・・
あと4分・・
間に合わなかった。
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まだ
父が要介護3で自宅にいたころ
父を歯科に連れて行くという姑に
「悪い歯だけ治療して 一本でも歯は残してね。お義母さん。
全部抜いちゃうと 誤嚥性肺炎になったり認知症のリスクが上がるから」と伝えたのに
「面倒だから全部抜いたわ」と姑が悪びれることなく
笑った。
その後 父は誤嚥性肺炎を何度も繰り返した。
この時 父は要介護5で
意思の疎通は殆ど出来ない状態だった。
「口から何も食べさせてはいけません」という
施設や病院の説明やリスクを無視し
姑は誤嚥性肺炎の父に
隠れて饅頭やアンパンを食べさせ
病院に搬送されてしまった・・
コロナの数年前の事だった。
姑の殺人的行為に腹が立った。
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目がうっすらと開き
歯が残っていない口が黒い空洞となり
今にも叫び声が聞こえそうな 頬のこけた父の横顔。
体は
まだ温かかった。
2年間 口からの食事を摂ることが出来なかった父の
腕は固く細くなっていましたが 温もりは生前のままで・・
姑と自宅に帰り
私は神棚に半紙で覆いをした。
姑が何か言っていた気がするけど
今は もう思いだせない。
夫を亡くした妻の、その顔ではない。
シュミレーション通りという姑の言葉だけは覚えている。
父の死を指折り数えて
待っていたかのように
以前から用意していた布団。
「お父さんが死んだら寝せる布団はここにあるから」と
言われたのは2か月前の事だった。
精一杯の気持ちを込めて
「もう お父さんが死んだ後のことも考えてるんですね。
お布団は葬儀社さんが用意してくれるので 準備しなくても
いいはずですよ」
姑の大好きな言葉・・
「だってお金かかるべさ」
「・・・。確かにそうですけど」
そんなことを云われて
2か月後の父の死。
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父の亡骸が自宅に帰ってきた。
友引の関係で
5日に息を引き取るも
通夜は7日 葬儀(告別式)は8日なった。
北海道の慣習では
告別式後に火葬になるので
父は2日間自宅で
長男の夫私と姑の4人で最期の時間を過ごした。
夫の弟家族には知らせたが
以前から父に何かあっても来る気がないことが聞いていたけど
せめて 花のひとつ香典のひとつでも送ってくれるのかと思っていたけど
最期の最後まで 望みを満たされることはなく・・
父はいい人でした。
どんな棘のある言葉でも
父の前では その言葉は砕け散り
サラサラと温かい風に吹かれ消えてしまうほどの
優しさに溢れた人でした。
姑が家族をバラバラにし
引き離し
こんな風に父を送るコトしかできない状態にしたのは確か。
父のせいではない。
姑が
父の亡骸が見えないかのように
そこに父がいないかのように
ヘラヘラ 金の話をしている。
そして
また 始まった・・陰口、悪口・・
もう我慢の限界だった。
お義母さん、止めてください!!
叫んでいました。

