赤レンガとキバナコスモスのころ。
日帰りで お義父さんに会いに行った。
義母がカレンダーに「この日に来るよ」と伝えた日から
動かない体で顔だけでカレンダーを見ては
指折り数え待っていたようだ。
お義父さんは 本当に誠実な人だから私は大好きだ。

妻・嫁・母・女のストレス

たかが日常されど日常

アラフィフの暮らし。
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お義父さんに会いに行く前に
夫が小さなころ過ごした団地に行こう・・と言い出した。
そういえば結婚前も結婚後も夫がかつて住んでいた団地の話題は出ますが
実際に行ったことがなかった。
・・まだ あるの?
昔は 町の中心街から離れていたと聞いていたが
今でも それは変わらず車がなければ買い物さえも不便な場所に
それはあった。
築50数年。
赤いレンガが印象的な平屋の4軒長屋の公営住宅。
その殆どは主のいない廃墟になっていたけれど
数軒は入居中で驚いた。
赤レンガにキバナコスモスの濃いオレンジが
暖かい日差しに照らされて優しく見える。
10年前にも一度 小学校の運動会を一人で見に来たんだ・・。
10年前といえば 夫が離婚するかしないかの頃だと思う。
この赤レンガの優しい佇まいは「夫の人生の原点」なのかもしれないと思った。
そして 昨日・・
健康診断で「精密検査」を勧められたので 自分を鼓舞する為に
赤レンガのかつての家を見たくなったのかもしれない。 そう思った。
記念に道端に咲くキバナコスモスの種を掌いっぱいに持ってきた。
今度住む新居の庭先に植えようと思った。
夫にも そう伝えると黙っていたが感慨深いものがあったのかもしれない。
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一旦 夫の実家に戻った。
義父は数カ月ぶりの帰宅だと思う。
時々 眠っては目を覚まし私と目が合う・・涙で顔がクチャクチャになる。
・・夢じゃない。と思うのだろう。
そのあと お墓参りに行った。
家族4人で出掛けた。
義父は車に乗ったままシートだけお墓の方に体を向け
手を合わせた。
施設の玄関先・・ウイルス性の感染症が流行っているとのことで
部屋まで入れず 別れることになった。
私が義父の顔を何度も触り手を摩ると
私の頭を義父がナデナデ・・ 泣きそうになった。
「お義父さん またね。また来るね。」と。
義母は「おとうさん、○○(夫の名前)の頭も撫でてあげなよ。」と
手を掴み夫の頭に添えたが・・ナデナデ・・なかったなー。
義父なりに私に気を遣ったのかもしれない。
義父はそういう人なのだ。
義父を見送り施設の玄関先で義母とも別れた。
夫は先に車に歩いて行った。
私もそれに付いて行こうとしたとき義母が私に抱き着いてきた。
義母は泣いていた。
でも・・義父のように私の心は動かなかった。
すごく冷静に「対応」した。
乗り込んだ車の中・・夫から「パイパイ(義母の陰のあだ名)って本当に信じられないんだよな」と。
・・確かにそう。
前妻に私、弟のお嫁さんに対する「凄まじく執拗な嫁いびり」を夫は見てきた。
だから もう遅いのだ。
義母が涙を流しても もう遅いのだ。手遅れなのだ。
義母が惨めに思えた。
私の父と似ている。
人を都合のいい時しか使わない「人となり。」が義母を今の状況にしたのだ。
身から出た錆なのだ。
義母が泣いても 何の感情も湧かなかった。
それは夫も同じ。 何度も信じては裏切られた夫の心境。
「お義父さんが喜んでくれたから それでいいよね。」と私。
また来ようね・・と告げると夫も「そうだね、母ちゃん」と そう言って車を走らせた。

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