*紅鮭とちくわ天のお弁当・・と、在るものの断捨離。
天気がパッとしない。
ついでに わたしの心もパッとしない。
本当に パッとしないことだらけで イヤになる。
先日も義母から あるプレッシャーをかけられた。
・・が、義母には「わたしには こうこうこれらの事情があってそれは出来ません。」と
キッパリと断った。
お弁当の後の記事につづく・・

主婦の友。

ふたり暮らしのライフスタイル

私らしい 暮らしと生き方


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今日のお弁当も 本当に適当。

『紅鮭とちくわ天のお弁当。』

*夫のお弁当。
・ごはん(焼きのり)。
・あおさ&紅ショウガ入りちくわ天。
・紅鮭。
・ミックスベジタブル入りポテサラ。
・野菜とチーズタップリ・オムレツ(赤パプリカ・しめじ)。
・ホウレンソウの塩昆布和え(白ごま・カツ節)。
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健康やダイエットを考え お弁当にはなるべく野菜を入れたい。
多分 お弁当を作っている方なた男女問わず 思いは同じだと思う。
そこで お弁当のちょっとしたワンポイントを・・。
今日 お弁当に入れたホウレンソウと塩昆布の和え物ですが
どうしても ホウレンソウなどを入れたいとなると
別にお醤油を入れなくてはならないと 以前のわたしは思っていました。
・・が、塩昆布やゴハンのお供のビン詰めのエノキタケなど
元々 味の濃いものと野菜のお浸しを和えることによって
お醤油を入れずに工夫できることもあるようです。
それによって また他の栄養を取れる利点もあったりしていいこと尽くめです。
ちょっと視点を変えて 工夫する面白さも見つけると
お弁当づくりも 楽しくなるかもしれませんよね。

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冒頭のお話の続きですが・・
わたしは 感が強い。
感と云ってもいろいろあるけれど 幼少期から正夢を見るのは
日常的、母が他界したばかりの時も 母そのものを感じるある出来事を
わたしだけ感じ取っていたし その後も1周忌までは 「あ、母さん側にいる。」と
分かることも何度もありました。
また 時には人を見ただけで テレビ画像を観ているかのごとく
その方の近い将来などが視えるときもあります。
視たくて観ている訳ではないんですが 視えてしまうのが厄介ですし
それが 当たっていることも多く 「あんこさんって分かるの?」と何度言われたか。
1年ほど前までも 何かわたしが体調を崩したり 良くないトラブルに
巻き込まれそうになる前には 母と亡くなった愛猫が一緒に夢に出てくることも
毎日のようにあったくらい。
自分から視てもらったわけではありませんが
あることがあった時 周りの方が心配して「視える」という方々に
お祓いをしてもらったこともありますが どの方も揃って云ったのは
「あなた修行すれば 人を視ることが出来る人ですよ。 今も実際そういうことが
あるでしょ?」というものでした。
ただ 最後に視てもらった人からは 「あなたは体が弱いから 視れる力はあるけど
それをやると自分の体がもたないから やめなさいよ。」とも言われていた。
わたしは その方に自分が幼少期から体が弱いなどとは一言も言っていなかったんだけど。
義母は我が強い。
人の気持ちを汲むなどと云うことは ほとんどない人です。
自分がいいと思ったことは 人にもいいと思ってしまう人なのです。
確かに 義母の気持ちも理解できないわけではありません。
家族が災難から逃れ 健康に健やかに生活できるようにと
願ってのことだと思います。
でも そう願うなら 自分だけで「信仰」すればいいこと。
「信仰」は悪いことでは ないと思っています。
悪いのは 「信仰」を語った遣り口だと思っています。
信じている人には「罪」はないと思っていますし
現に私の知り合いにも いろいろな「信仰」をしている方がいますが
「○○に入会しているから嫌い」と 思ったことは一度もありません。
信仰とは別に その人本人の人柄をみてお付き合いをしているだけです。
でも とかく感じるのは 「信仰」している人の中には
常識を「いちだつ」する行為を平然とする方がいて驚くこともあります。
義母も わたしと夫が結婚後 すぐさま私に対し「(私の実家)お父さんも入会させたいから
生年月日教えて頂戴」と言われ 驚きました。
もちろん 父の承諾もなく勝手に生年月日を教え入会させることは出来ないので
丁重に義母には「父の許可なく教える訳にはいきません。」と お断りしましたが。
実家の父も母もわたしも 新のつく「宗教」は嫌いですし
夫も嫌いです。
ただ 夫曰く、「何を言っても人の云うことを聞く人じゃないので
云っても無駄だから」ともこと。
わたしから見るに タダ夫は義母に逆らえない
「タダのヘタレ」だけにしかみえないですけど、ね。
信仰するのは自由ですが 周りの人を巻き込むのは辞めた方がいいというのが
わたしの考えです。
義母に対しては 「サークルにでも入っている。」と考えるようにしています。
その方が気が楽ですから・・
でも それだけ熱心にやっている信仰でありながら
悩み事があっても 集まりの中で悩みを吐露する時間には参加しないそうです。
他の方の様に胸の閊えを吐露しないって なんの為の「信仰」なんでしょうね。
*実際に わたしも自分や夫のこともあり 悩んだ時には
「藁にもすがりたい。」という 気持ちに人生で初めてなりました。
わたしは「信仰」には 走りませんでしたが
世の中には そんな時たまたま身近にあった「信仰」にすがる方がいるのも確かですし
それを批判するものではないということだけは ご理解していただきたいことです。

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