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親を施設に入れる、と、いうこと。








わたしの祖母は忙しい毎日の生活の中で認知症の祖父の面倒をみていた。



今から40年以上前のことだけど 小さい子供ながらに、そんな祖母の苦労や葛藤を見てきた。

祖母は同居する息子夫婦や結婚前の娘や息子、住み込みの若い人に迷惑をかけないように

いつも気を張りつめイライラしていた。






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当時は介護施設は今ほど細分化しておらず

認知症やほける、、ボケるなんて言葉もなく 

ただただ「きちがい」と表現されていたように記憶する。


だから 夜中徘徊する老人の受け入れ場所は「精神科」が殆どだったと思う。




祖母は祖父が夜中、徘徊しても直ぐに目を覚ませるように

自分の手首と祖父の手首にさらしをキツク巻きつけ

毎夜眠っていた。


熟睡など出来るはずもない。




限界がきた・・祖母は嫌がっていた「精神科」に祖父を預けることになった。

世間体を気にする世代や時代背景もあり 祖母にはツラい決断だったと思う。





そして、今・・


私と妹は 父の意志を確認したあと 施設への入居を決めた。




無理強いはしたくなかった。

それは 施設に入った後 周りの方や家族との間に問題を起こすことを避けたかったから。

全てのことに対し わたし達家族から父に提案し 

父がそれらを自分の中で咀嚼し理解したうえで決断する方法を取った。



父を施設に入れることに抵抗はなかった。


「入れる」って表現は適切ではないかな・・預ける、、入居する。



親子・・と云っても それまで父には様々な言動で泣かされてきた。

だから 親子だけど割り切る覚悟など微塵も必要なかった。


冷酷だ、と思う方もいるかもしれないが 一緒に住むには父は余りに自分勝手すぎたのだ。




我が子を泥棒呼ばわりするような人とは一緒には住めない。



その性格は今に始まったことではないからだ。

父自身も 何を言っても身の周りのことをする私から

「父さんから言われたことば(泥棒)は一生忘れない。許さない。」と言われ

観念したようだ。 父の微かな望みなど汲み取る情けはいらないと思った。

その中途半端なわたしの優しさがアダになっていたことを嫌というほど分かっていたから。



親子と云っても色々な繋がりがそこにはある。



我が家の様な親子関係もある。




だから ソーシャルワーカーさんや包括支援センターの方には

親子関係について包み隠さずお話をした。

体裁など邪魔なだけなのだ。


何より必要なのは 家族のありのままをお話しすることなのだ、と思ったから。



親を介護するということは どんなに血がつながっていても簡単に出来ることだはない。



ある意味 特殊な親子関係だったからこそ 私の決断が鈍ることがなかったのだと

父には感謝している。







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Comment

そうですね
こちら側の気持ちをわかってもらうのは重要です。
うちは病気が治る病気ではなかったので、老人ホームも
1年くらいで病院へ再入院でケアマネさんとの連絡は
下の妹の役目だったのですが、もし私がキーパーソンだったら
きっと、いろいろ話していたと思います。
うちも、いろいろあって子供たちが大きくなって
母の私にしたことは親としてはあり得ないことだと
分かった時点で母を許せなくなってしまって、
母の死を心底望んでいました。
5月に亡くなって、7か月たちますが、寂しい気持ちも
ないですし、ほっとした気持ちが大きくて、
自分は母に対してほんとうに冷たい気持ちしか
なかったんだなと思っています。
すぐ下の妹は母が亡くなって喪失感から3か月くらい
引きこもりになってたようなので、全然違うなと
思ってしまいました。
でも、あんこさんは私とは違うから、一緒にしては
いけませんけど、こんな人もいるって思ってください。
  • 2018/12/06 09:50
  • わんわんママ
  • URL
何一つ判断に間違いはない様に見えます。
介護倒れなど最悪な結末を迎える必要などありませんし、それを強要するような時代ではありません。
僕の父親は悪質なアル中で、なんでこんなことで怒りだす?なんてことが毎日あり、さらに道具を使った暴力をふるうという状況。ゴルフクラブで殴られたこともあります。高校生になったころには体力的にも負けなくなったので、ターゲットは姉に移りました。それも長くは続かずくも膜下出血であっけなく急逝。そのとき思ったのは「正直ほっとした」です。あーこんな解決方法もあったんだなと。
30年以上も前の話です。一度夢に出てきて「パソコンの使い方教えてくれ」なんて他愛のない話をして、それが和解のタイミングだったような気がします。
  • 2018/12/06 22:36
  • いえねこ
  • URL
わんわんママさんへ。
コメントありがとうございます。

お返事が遅れましてすみません。

親子関係は他の人では理解できないことも往々にしてあると思っています。

わたしも母とは親子って云うより 仕事のパートナーって感じでしたから。

確かに母とは色々ありましたが 他界した時点でフラットな状態になりました。

ある意味、許すとか許さないとかの次元を超えました。

父に対しても 多分そうなると思います。

でも それでいいのだと思います。

わんわんママさんも自分の気持ちを大切にしていくのが一番だと思います。

色々あるものですよね・・人生には。
  • 2018/12/09 04:37
  • あんこ
  • URL
いえねこさんへ。
コメントありがとうございます。

お返事が遅くなりすみません。

いえねこさんのコメントで印象的だったのは「パソコンの使い方教えてくれ、なんて他愛もない

話をして それが和解のタイミングだった気がします。」ってところです。

何だか 凄くわかります。

生きている時の謝罪や和解だけが「(親を)受け入れる」タイミングではないと私も思います。

現にわたしも母が他界後四十九日前に夢に出てきた母が深々と私に頭を下げ謝罪の言葉を口にしたことが

わたしの中での「区切り」になったと思っています。
  • 2018/12/09 04:45
  • あんこ
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